マサのブログ

何かにフォーカスせずに自由に話題を選び書いています。

2024正月早々の大地震のTV放送に驚いて!

元旦、瀬戸内は良い天気に恵まれました。
ブログ書いている最中に午後4時過ぎ、突如、テレビで地震のニュースが入ってきました。
局は忘れましたが、女性アナウンサーではなく、普通の中年女性の声で、慌てふためいて地震放送を始めたのです。
それだけでも、普通のことではないと直感しました。後に「震度7」という正式発表!


大津波警報「避難して!」というショートメッセージが画面に出てきました。津波は大小わかりせんが、来てからでは手遅れになりますから、とりあえずは「逃げて!」が正解だ
と思いました。


夜、二度目の震度7、「やはり、気象庁の予測どおり二度目の大揺れが来たか!」と思い
ました。しかし、これは夜の放送では、震度3だったと訂正がありました。


逆に言えば、まだ、大きなのが来るのは大地震の「ならい」ですから、まだ、大きなのが
来る可能性があるってことでしょう?


こちらは四国愛媛なんですが、東日本大地震も関係なく、今回も石川県は遠いところです。でも、こちら四国も着実に順番がまわってきつつあるのを感じます。


『南海地震』、母の話では、「戦後間もないころ、大地震があり、家が長い間揺れた」と聞かされたことがあります。
地震は決して、他の地域だけのお話ではありません。「次はこちら」と常に思っていなければなりません。自治体単位で避難訓練をしているところも、こちらではありますが、本番に役立つといいです。



たまたま、正月休み前、ビデオ録画していた、灯台守の映画、「喜びも悲しみも幾年月」という映画なんですが、これは戦前から戦後に至る灯台守の方たちの苦難の生活を描いたものは初版の映画でしたが、ビデオを見ると、戦後の灯台守の人たちのお話でした。
しかし、海の上の生活の描写です。やはり、時代は変わっても大変な時がありますね。彼らも「海上保安官」だと初めて知りました。最初、呉の海上保安大学校の卒業式から映画が始まっていたからです。


今、海上保安官は、尖閣の領土問題、その他太平洋での領土問題、これらは終戦直後はあまり問題にならなかったのに、今は緊張の日々だろうと思います。


海上保安官の人たちは国を守るという気概に燃えている人たちでしょう。


僕が見た最初の映画は10歳、俳優中井貴一さんの父親「佐田啓二」さんと「高峰秀子」さ
んの出演した映画でした。彼らの「結婚、へき地での出産、戦争の空襲体験」といった一
生を描いた作品でした。


その映画を体現するような主題歌、若山彰さんが歌う「喜びも悲しみも幾年月」という歌が、本当に灯台守の人たちの苦労を表していると思っていました。


主題歌を若山さんがYoutube動画で歌っているのを何回も聞いて共感を覚えましたので、アップします。
Youtube動画をこのブログに乗せることも初体験なのでいい機会です。
  

喜びも悲しみも幾歳月 - 若山 彰 (1957)


もちろん、苦難の生活は決して過去の人たちばかりの話ではありません。我々もいつ何時
不幸に見舞われるかも知れません。
今夏は能登半島で大地震がありました。東北大震災で陸地部を襲ったような大津波が輪島
を襲っていたニュース報道はやはり怖さがよぎりました。
                               

ブログランキングに参加しています。ポチっとよろしくお願いします。
ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村                                                      

PVアクセスランキング にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する